2010年05月23日

囲碁おもしろレッスンから

囲碁おもしろレッスン 関根直久著 から印象深い言葉を抜き出して見るテス



 なるべく少ない知識をより多くの場面に応用させる。
 簡単そうだが、実はかなり大変なのである。何が大変かというと、反復反復に対するお互いの辛抱である。
(中略)
 辛抱が続けば、いずれ結果が必ず出る。
 どんな結果かというと、予測不可能な色々な展開の場面で、ごく自然に、それなりの対応ができるようになるからである。
 理論を超越し、条件反射のように思い浮かぶ着手。これらはすべて反復練習から得た無意識の応用と考えて差し支えなく、これらが円滑にいくようになれば、アマ初段へのエスカレーターに乗ったも同然である。
p57

 一つの着手、あるいは一連の打交でできた形、その共通点をいかに把握するかが理解力につながるカギでもある。
p67

 問題集に取り組む絶対的なポイントは、制限時間を厳守していただきたいこと。一ページに四題、見開きで八題、制限時間は見開き八題で一分以内(理想は四十秒)。
(中略)
より早く形に反応できるかどうかのトレーニングなのである。
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2010年05月22日

"実戦を打たないと強くなれない"の意味

 人間は頭で理解したつもりでもいざやるとなると忘れている。
それは脳の領域でinputの領域とoutputの領域が異なることに起因する。
本を読んで勉強するのももちろん重要だ。人に教わることももちろん重要だ。だがしかし、学んだ内容を一朝一夕で行動に移せるようになるわけではない。それが人間である。そして、実行できないはすなわち知らないと同じことである。
 そこに実戦を多く打つことの意義がある。実戦に実戦を重ねた反復練習によってしか囲碁は強くなれない。そうしてすなわち、教わったことをどれだけ「出来る」ようになってるか試そうというわけである。それでもし出来なかった(or出来たとしても失敗した)のであれば、また勉強しなおすなり、すればいいのである。失敗したのなら、使う場面を間違えたか、その後の対応を間違ったか、の何れかである。
 こういう状況ならこう打つ、というマニュアル主義もまた駄目だ。当の本人には同じ場面に見えても、そこにある意味合いは全く異なることが囲碁においてはしばしば見受けられる。そいういう場面において教わった手を打つというのは、馬鹿の一つ覚え、あるいは過ぎたるは及ばざるがごとしと言われても仕方がない。
 読み以上の手を打ってはいけない、と昔kgsで8段の人が言っていたが、まさにその通り。最善手を目指してはいけない、という言葉を以前紹介したことがあったが、まさにその通り。自分の理解を超えた手は覚えない、使わない、相手の理解を超えた手は教えない、が囲碁における鉄則な気がする。
posted by かげろう at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 入門講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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